このメディアやYouTubeなどで僕がよく使っている 観念とは 、 ホースネス 心理学 上の解釈を基にして使用しています。
一般的に使われる意味合いとは少々異なる部分もありますので、記事をよりわかりやすく読んで頂くために、今回はこの観念についてお話したいと思います。
心理学 における 観念とは
・物事に対して持つ考え
・あきらめること
・哲学で、人間が意識の対象についてもつ、主観的な像。表象。
・心理学的には、具体的なものがなくても、それについて心に残る印象。
このメディアやYouTubeなどで僕がよく使っている 観念とは 、 ホースネス 心理学 上の解釈を基にして使用しています。
一般的に使われる意味合いとは少々異なる部分もありますので、記事をよりわかりやすく読んで頂くために、今回はこの観念についてお話したいと思います。
・物事に対して持つ考え
・あきらめること
・哲学で、人間が意識の対象についてもつ、主観的な像。表象。
・心理学的には、具体的なものがなくても、それについて心に残る印象。
と記載されています。
観念とは仏教用語の「観想の念仏」(=心静かに知恵によって一切を観察し悟りを得るという意味)という言葉に由来しており、基本的には、「個人が持つ、物事を判断したり行動するための基になる解釈や印象」という意味合いになります。
ホールネス心理学では、これに加えて「すべての物事は観念である」という解釈をしています。
人生という流れのなかに配置された一つ一つの要素です。
僕が地球という星に住む日本人ということも観念だし、企業コンサルタントであり経営者であるということも観念です。
また、思い込みやトラウマ、常識といったこともすべて観念です。
この「観念」自体には善い・悪いという判断は存在しません。なぜなら、善と悪も観念に過ぎないからです。
例えば、ある人にとっての日本人という観念は、命の危機に脅かされることがなく日々を生きていけるという風にも作用しますし、皆が同じでなければならない息苦しさにも作用します。
他にも、「近隣付き合いをするべき」という観念は、「日々コミュニケーションがあり、助け合いが生まれて住みやすい」という風にも作用しますし「監視されている様に感じて生活しづらい」側にも作用します。
受け手の見解により、生まれる感情は正反対のものになりますが、元になっている観念には善も悪もないのです。
けれど、観念は時として僕たちに様々な制限を作り出します。
例えば、多くの日本人が「緑茶は砂糖を入れないで飲むもの」という観念を持っています。
しかし海外の多くの国では、緑茶のペットボトルは砂糖入りで売られています。
「緑茶は砂糖を入れないで飲むもの」という観念を持っている人は、「砂糖入り」という記述を見ただけでその商品を手に取ることを止めてしまったり、最初から否定的な気持ちで口にするために、その商品の純粋な味を楽しむことができなかったりします。
この様な、行動に制限をかける部分にフォーカスを当てると、観念にネガティブな印象が生まれます。
そのため、多くの人が「観念とは手放すべきもの」と言っています。けれど、僕はこのネガティブな部分にフォーカスを当てるのではなく、あらゆるものが観念であると定義するほうが、物事の説明が容易になり理解しやすくなると感じています。
これはホールネス心理学での定義なので、他の方が別の定義をしていても決して間違いではありません。
そうした中で、僕がこのメディアやYouTubeを通して伝えたいと思っていることは、2つあります。
一つは、あらゆるものが観念である中で、その善悪の判断をしているのはあなた自身ですよということです。
もう一つは、あなたの行動に制限をかけてしまっている観念は、あなた自身が望んで手にしているものではなく、刷り込みやこれまでの人生経験の中で培われたものではありませんか?ということです。
すべての観念が手放すべきものなのではなく、今の自分にとって必要なものと必要のないものを見分けて、必要なものだけを配置することができたら。本当に、心穏やかに過ごすことができます。
不必要な観念を手放すことで、自ずと行動も変わってきますから、そこから作り出される未来も変わっていきます。
そうした一つ一つのことを具体的な例を交えて解説していますので、ぜひ他の記事も読んでみてください。
自己啓発や啓蒙本などで、観念と共によく使われる言葉に「カルマ」という言葉があります。
日常で頻繁に使われる言葉ではないですが、小説やアニメなどで目にした、或いは耳にしたことがある人も多いのではないかと思います。
意味として、ぱっと思いつくのは「業」や「罪」などでしょうか。
割とネガティブな印象を持つ人が多いですが、僕は一部の側面が強調されているためだと考えています。
カルマという言葉を伝える際に、実に多くの書物や情報が、前述した「観念」のネガティブな部分をカルマとして定義しているために「カルマとは解放するべき物であり、業や罪である」と伝えているので、多くの方がその様に理解されているのだと思います。
ホールネス心理学では、観念とはカルマであり、カルマとは観念であると定義しています。
カルマという言葉も、僕がよく使う言葉なので、今後「カルマ」という言葉を目にしたり耳にした時には、カルマ=観念と捉えて頂くとより内容が理解しやすくなると思うので、共有させていただきました。
一般的に観念とは、「個人が持つ、物事を判断したり行動するための基になる解釈や印象」という意味を持ちます。
心理学では、解放するべき対象として使用していることが多いですが、これは観念の「行動に制限をかける」というネガティブな部分にフォーカスしているためです。
実際には、観念自体に善悪はなく、とてもフラットなものです。
ホールネス心理学では、これらの一般的な意味合いに加えて「すべての物事は観念である」という解釈をしています。
観念とは、人生に配置された一つ一つの要素に過ぎないのです。 それをどの様に解釈して、自分に取り入れていくかはあなた次第なんですよ。
YouTubeチャンネル:メンターToshi 【自分のスタンダードを上げて、現実をクリエイトする】
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